私が開院した理由

【ほんとうにやりたいことはなんだろう】

私は、学生時代いくつかのバイトを経験しました。
その中で、漠然と自分にはデスクワークより身体を動かして、
人と関わる仕事が向いているんじゃないかな?と感じていました。

大学を卒業して、婦人服の販売の仕事に就き、20代を過ごしました。
”服が好きだから”というのではなく、”人が好きだから”
”人と接する仕事がしたいから”接客業を選びました。

ただ、年数が経ち役職が上がると、入ってくる後輩やバイトさんは
服が大好きな娘たちばかり。
そんな娘たちと一緒に働きながら、私は”仕事のために”
ファッション雑誌を読んだり、他店舗のリサーチをしたり
毎月服を買ったり…。

「どうせ勉強するなら本当に自分が好きなことをしたい」
いつしか、自分が本当にしたいことは何か?
を毎日考えるようになっていました。

やっぱり私は人が好き。ということは間にある物をとってしまえばいいのでは?
どうせ勉強するならこれだ!と思うことを深く勉強して、
一生続けられることがしたい。

ちょうどバーゲンや日々の作業で(婦人服販売はけっこう力仕事もあるんです)
肩や腰を痛めていたこともあり、マッサージにときどき行っていました。
その治療院で、担当してくださった先生にお話を聞いて、
私にもこういう仕事ができたら…と調べ始めました。

国家資格をとって、マッサージ師になろう

25歳でそう心に決めて、コツコツ学費を貯め、30歳で
鍼灸あん摩マッサージの専門学校に入学。

再び学生として学び始め、マッサージ師を志しました。


【再び学生へ】

大学時代と違って、今回の学生生活は大変でした。
学費を自分で捻出しながら、人の身体についての勉強と治療技術の習得も
同時進行でしたから。

朝の早朝バイトや、経験を積むための治療院や整骨院でのバイト
そして、はやく一人前になりたいという気持ちから、指圧の先生の元で
学ばせていただいたり、休みの日も学校外の勉強会に参加したり。

休みなくあっという間の3年間が過ぎました。
ほんとうに大変な毎日でしたが、乗り越えられたのは、
これが自分のほんとうにやりたいことだ。という確信があったから。


西洋医学、東洋医学を学ぶことで、心も身体もつながっている。
他人とも周りの世界とも。
そんなふうに感じるようになりました。

この世界は一生勉強。人の身体というより、人間そのものを勉強する
ということの奥深さを感じながら過ごした3年間でした。


【資格取得後】

あん摩マッサージ指圧師と鍼灸師の国家資格を取得後、
専業主婦や妊娠出産も経験しました。

妊娠から出産、育児とすべてが初めての体験。
ちょうど人の身体のしくみを学んだ後だったので、どの経験も
興味深い貴重な体験。毎日が変化の連続で刺激的でした。

日々の家事労働が、けっこうハードなことも体感しました。

育児サークルなどに参加しながら、子育て中のママさん方に
出張マッサージをしに行ったりもしていました。
自分も乳児を抱えながらだったので、育児中の悩みや困ったことなどを
共有しながら楽しく施術させていただいていました。

その後、京都の外資系ホテルのスパで、マッサージ部門のチーフとして
働かせて頂く機会があり、日本人だけでなく、たくさんの人種の方と
接しました。

ホテルでの気配り、心配りを学びながら、人種によって骨格や筋肉、
マッサージの楽しみ方などが違うんだな、と貴重な経験をさせていただきました。

30代半ば、プライベートでの転換をきっかけに、京都市山科区を中心に
訪問マッサージを行う治療院に勤めることにしました。


健康な方々と触れ合う機会が多かった私に、
ほんとうに痛みを抱え、不自由さを抱えて暮らしておられる方々との出会いは、
「治療」というものに対する意識を大きく変えることになりました。

健康で、自分のやりたいことが自由にできる、
私にとって当たり前のように感じていたことが、思うようにできない方々が
いらっしゃるんだ。

たとえば脳梗塞の後遺症やパーキンソン症で、手や足を思い通りに
動かせなかったり、高齢のための筋力低下で、転倒や骨折をきっかけに
ひとりで歩くことが困難になったり。

そんな方々にマッサージや、リハビリのお手伝いをしながら、
痛みをとることや症状を改善することはもちろん大切だけれど、

年齢を重ねても、元気で自由に活動できるためには、もっと普段から
健康や自分の身体に対する意識を持つことが大事なんではないだろうか?

と考えるようになりました。



【自分の身体を通して学ぶ】

30代後半の三年間、自分の身体を通して、健康とそして自分自身に
向き合う大きな年となりました。

37歳夏、仕事でバイクの移動中に、交通事故に遭い足首を脱臼骨折。
4カ月の休業とリハビリを経験。

手術、入院の体験、
骨折した足がパンパンにむくんだり、
車椅子→松葉杖→杖を使う生活、
足一本使えないというだけで、なんと不便なこと!

リハビリに取り組む毎日は、患者さんの大変さを身をもって体験する
いい機会となり、とても勉強になりました。



38歳初夏、検診による、子宮けいがん(0期上皮内がん)の発覚。

2人に1人はがんになると言われている時代、
それでもやっぱりまさか自分が…という気持ちでした。

幸い、初期での発見のため、子宮の入り口をくり貫く手術をすることで、
治療と検査をしてもらいました。

そして、出た結果は、一部悪性の細胞が出ていて完治を目指すなら
子宮を摘出した方が良い、というものでした。
娘がひとりいるものの、女性としてのシンボルともいえる子宮の摘出を
決断するには時間がかかりました。


私のところへ産まれてきてくれた娘のために、元気な母であり続けるために

一生続けることができると思える大好きなこの仕事を不安なく続けていくために

39歳初春、開腹による手術を受け、子宮を摘出。
その後、身体の回復を待って、無事に復帰することができました。


3年の間に入院・手術を4回。


患者さんや勤め先の方々にご迷惑をかけたのはもちろん、
まだ幼い娘や一緒に暮らす家族にどれほどの負担をかけてしまったことか。

しかしこの期間、
家族の大切さとありがたさ、そして周囲の方々の温かさと心に、
本当に支えられて乗り越えることができました。


たくさんのことを経験しましたが、このときの経験は、
どれをとっても私の貴重な財産です。


【ようやく自分の目指す形に】

事故や病気を経験することで、今ここにいられることの有難さを
以前に増して感じるようになりました。

それは、私自身だけでなく、他の方々に対しても同じです。

私ができることで、関わる方々の夢や人生を応援したい。
ご縁のある方々に、その人らしい活き活きとした毎日を過ごしてほしい。

この伏見区深草は学生時代を過ごし、また子育ての初期を過ごした
場所でもあります。

この思い出深い場所で、健康な心と身体を創るお手伝いをしながら
ご縁を紡いでいけたら…とこの地で開院しました。


そんな変わらぬ思いを抱きながら、「治療院じゅいん」を、
私の二人めの子どもとして、ご縁を頂く方々と一緒に
大切に育ていこう、と思いながら日々励んでいます。


お読みいただきありがとうございました。

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